◎2018.9.18(Tue) 天気:晴れ 気温:—
◎コース:09:24牧ノ戸峠-10:01沓掛山山頂-10:32扇ヶ鼻分岐-11:08久住山避難小屋-11:24久住山山頂11:42-12:21扇ヶ鼻分岐-12:47沓掛山山頂-13:01牧ノ戸峠(行動時間:3時間37分)
◎標高差:約456m
最高点の標高: 1791 m
最低点の標高: 1331 m
累積標高(上り): 700 m
累積標高(下り): -684 m
朝、九重山を登るべく、牧ノ戸峠へ向けて車を走らせている。
車窓から九重連山が望めるようになった頃、Kが「ここのえまちって言うんだ」と言った。
”なぬ?ここのえまちー??”
今まで私は九重山を「くじゅうさん」と呼んでいた。
なぜ、そう呼んでいたのか?改めて考えてみても、よく思い出せない。
当然のように、くじゅうさんと読んでいた。
しかし、地元、九重町が、ここのえまち、と名乗る限り、ここのえさん、が正解じゃないのか?
百名山完全制覇を狙う者として、山の読み方を間違えていたら格好が悪いじゃないか。
そんな疑惑に囚われた私は、そんなことで、山行記録を書く前にちょっと調べてみました。
そしたら、ウィキちゃんですぐ解決できちゃった。
以下、ウィキペディアより転載
”この地域の名称としては、「九重」(くじゅう、ここのえ)と「久住」(くじゅう)の2通りの表記及び読みが用いられてきた。
その起源は、延暦年間(800年頃)にこの地に九重山白水寺と久住山猪鹿寺の2つの寺院が開かれたことにさかのぼる。近代に入ると、山群の北麓に九重町(ここのえまち)、南麓に久住町(くじゅうまち、現・竹田市久住町)が誕生したことから、それぞれの表記が特定の地域に結びつくことになり、地域全体を指す時にどちらの表記を用いるかという問題が大きくなった。
現在では、火山群や周辺地域全体を指す場合に「九重山」や「九重連山」を用い、その主峰である単独の山を指す場合に「久住山」を用いるのが一般的である。
また、近年では、混乱を避けるためにひらがなの「くじゅう」を用いることも多い。例えば、「阿蘇国立公園」にこの地域の名称を加えて改名する際には、「九重」と「久住」のどちらかにするかで長らく論争が続いたが、「阿蘇くじゅう国立公園」とすることで決着した。また、坊ガツル・タデ原のラムサール条約への登録名も「くじゅう坊ガツル・タデ原湿原」とされている。”
なるほど…。
地元の方も混乱しているらしい。
ま、しかし、山名、地域名であれば、九重も久住も”くじゅう”で問題ない、ということっすかね。
09:24牧ノ戸峠
えー…、久々にブログを更新しようと考えてこの山を登るつもりだったが、久々過ぎて撮り忘れ多数。
写真が歯抜けになってます。
また、GPSのログはギャラクシーS9+と山旅ロガーの組合せなのですが、カスみたいなログしか取れんかった…。
途中の展望台にて。
稜線に這い上がるまで、これ式のコンクリ舗装が続く。
この規模の山の登山道でコンクリ舗装は珍しいが、表土流出対策としてはナイスアイデアと思います。
元々あった木段やらなんやら関係無しに、全部上からコンクリを塗ったくった雰囲気の仕上がりです。
稜線に這い上がって…。
往く手を望む。
”右手の緩いピークが久住山か?”と思ったが、あれは扇ヶ鼻。
ここから久住山はまだ望めない。
↓
10:01沓掛山山頂
今日歩くコース全般、傾斜は緩いのですが、唯一、このピーク前後は岩場が続く。
前掲の岩場を過ぎちゃえばこのとおり。
ははは…真ったいら。
↓
10:32扇ヶ鼻分岐
山頂へ向けてコースを消化。
そしたら、ようやく久住山が顔を出した。
もっと緩いピークのイメージでしたが、精悍でした。
次のポイントである避難小屋に出た。
↓
11:08久住山避難小屋
ここには立派なトイレがある。
協力金100円。
中は清潔な状態であった。
反面、避難小屋は…。
扉はない。
床もなく土間になっている。
その土間には雨?で茶色い水溜りができていた。
まさに”避難”小屋であって、ここで寝る気にはなれない。
寝れるなら、さきほどのトイレで寝た方がマシだ。
さて、前進。
硫黄山中腹。
中岳。
もう少しで山頂!
↓
11:24久住山山頂11:42
山頂には、それを示す道標が一本建っているのみ。
硫黄山。
ガスが湧き出してきた。
今日は午後から下り坂と、朝見た天気予報でそう言っていた。
時間がかかるコースではなかったので、飯は軽いものしか持参していない。
燃料補給よろしく、食事を楽しむわけでもなく、早々に下山に取り掛かった。
山頂で、下から賑やかな声が聞こえるな、と思っていたが、避難小屋まで戻ったら、中学生と思われる一団と出会った。
総勢30人くらいだったろうか。
内、引率の先生が3人ほど混じっていた。
これで、一学年全部かな?
私が中学生の頃は、学校で山を登る、なんて無かった記憶だ。
もっとも、私の世代の中学は一クラス40名超で一学年で12クラスあったから、一学年全員で山を登る、なんて言ったら一大事業になっていただろう。
その学生達を横目に更に降ると、途中で遅れた子供一人とその引率の先生とすれ違った。
まあ、遅れる子供も出てくるよね…。
↓
12:21扇ヶ鼻分岐
さて、最後の登り!
↓
12:47沓掛山山頂
↓
13:01牧ノ戸峠
無事、帰還。
山ではろくすっぽ食わなかったので腹が減った…。
この駐車場の売店で肉まんを買って食った。
そしたら、中学生と出会った。
どうも見覚えのあるデザインのジャージを着ている。
…。
まさか!君、登ってないの!?
ってことは、この子の父親と思って私が見ていたのは引率の先生だったか…。